懐かしの南花台を紹介するOld Days of 南花台
今回は南花台の街がどのようにしてできていったのかを、写真を交えてお伝えします(^^)
当時の懐かしい写真を、たくさんお借りすることができました!まずはこの写真をご覧ください。
皆さんどこが南花台かわかりますか?写真では、ちょうど真ん中の薄い緑のあたりが南花台です。
こちらは南花台の街がまだできる前のもの。URの建物はありますが、当時はまだ高向の地名でした。実は造成前は、松茸がたくさんとれる赤松林だったそうですよ(^^)当時、河内長野の松茸というと大変有名だったそうです。写真左上が現在の高向地区、下部は加賀田地区です。
こちらは当時の南花台の住宅販売促進用のパンフレットの一部です。左側の航空写真は、初めに紹介した建設前の写真と比べて、URを中心に住宅が並んでいる様子がわかります。
「南花台は大きく育つ街。街はいま、育ち盛り」などのキャッチコピー見ると、当時の南花台の発展途上の様子がわかりますね。
当時から南花台在住の松島さん、古川さんにご協力を得て、お話をお伺いすることができました。そして、お二人がお持ちの写真とともに、当時を振り返っていただきました。
お二人とも第一工期で建設された住宅に、昭和57年にご家族で引っ越してきたそうです。パンフレットをよく見ると、URの建物を囲み、まだ緑の空き地が目立ちます。
こちらはその空き地からのURの建物を写した写真。(昭和57年当時)
これを見ても建設途中や、空き地だらけだった様子がよくわかりますね。
下の二枚は電柱だけが目立っていたり、山肌が削られた様子も見えます。
引っ越してきた当時は、仮設のスーパーのみ、南海バスもまだ開通していなかったようで、開通する2週間ほどの間、三日市駅までの道のりを苦労されたというエピソードも。ですが、それ以外には不便もなく南花台に引っ越してきて良かったとお二人ともにおっしゃっていました。
そして昭和57年、南花台地区唯一の小学校としてスタートした南花台小学校(現南花台小学校)の建設途中の写真と角度は違いますがその後の写真。
建設途中の写真はとても貴重ですね。住宅建設とともに、公共施設建設が急速に進んでいった様子もこの写真から伝わりますね。
南花台小学校の歴史については、前回の記事でご紹介していますのであわせてごらんください。
今までの写真はすべて昭和57年のものでしたが、これから紹介する写真はその約1年後、南花台上空をセスナから撮影した大変貴重なものだそうです。
これらの写真は、お話を伺った古川さんが、セスナより自宅周辺の航空写真を残したい、ということで、昭和58年に撮られた貴重な航空写真です。
1年前の写真と比較しても、住宅がたくさん増え、空き地が少なくなり、急速に発展した様子を見ると、現在の南花台の街に近づいたような感じですね。
昔懐かしい当時のお話がたくさん聞け、咲っく事務局も当時に思いを馳せて感動しました。もし、南花台の昔の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら引き続きご紹介させていただきたいので、ぜひ咲っく南花台サポート事務局までご連絡ください(^^)